Tomezo SAITO
咸臨丸渡米時、軍幹奉行従者として乗組んだ「齊藤留蔵」 にスポットを当てた展示会/講演会の概要案内です。 |
■テーマ:第14回企画展「壬生のサムライ太平洋を渡る」 ■主旨 今から約140年前の江戸末期、壬生のサムライとして幕府軍艦「咸臨丸」で日本人初の太平洋横断をなしとげた人物がいます。彼は、軍艦奉行木村摂津守の従者役として乗船した壬生藩士で、名を齊藤留蔵(さいとうとめぞう)といいます。 彼は、壬生藩士・齊藤佐左衛門(さいとうすけざえもん)の四男として1844(弘化元)年に生れ、1855(安政2)年に11歳で幕府代官江川太郎左衛門の塾に入門しました。そして彼が16歳の1860(万延元)年1月19日、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎とともに軍艦「咸臨丸」に乗船し、日本人による初の「太平洋横断」という快挙をなしとげました。 軍艦奉行木村摂津守、艦長勝海舟ら111名の一行は航海研究のため、冬の北太平洋の荒波に翻弄されながらも、37日間の大冒険を経てアメリカに到達しました。この冒険の情況は彼のその日記「亜行新書」に詳しく、当時16歳とは思えぬ正確な記録を残しています。 さらに、1871(明治4)年11月12日、岩倉具視を特命全権大使とし木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳を副使とした岩倉使節団に同行留学生として参加し、アメリカで海上砲術の研究をしました。またこの時、元壬生藩知事・鳥居忠文も法律学を修行するためアメリカに留学しました。 岩倉使節団は、近代国家像を求めるため、右大臣・岩倉具視を特命全権大使とし木戸孝允、大久保利通ら当時の政府の最高実力者、そして津田梅子ら5人の少女留学生をふくむ総勢107名を欧米各国に派遣した、幕末維新期最大の遣外使節団でした。 その後、どういう事情か海軍から牧場の研究に移り、アメリカの農科大学に学んで、帰朝後伊豆山に日本初の牧場を経営しました。 この展覧会では、「咸臨丸」最年少の乗組員を振り出しに、初の海軍委託生、初の牧場経営と大活躍した「齊藤留蔵」とは何者か−その知られざる実像を紹介します。 ■会 期:2004(平成16)年2月7日(土) 〜 3月14日(日) ■観覧料:一般:200円/中学生以下無料 ■会 場:壬生町立歴史民族資料館 【講演会】 ■演題:「咸臨丸一行のアメリカ渡航記 −壬生藩士・齊藤留蔵の日記を中心に− ■日時:平成16年3月7日(日) ■講師:伊藤久子(横浜開港資料館調査研究員) |
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