幕府遣米使節随伴艦
咸臨丸乗組員名簿

@士官 17名 C大工役 1名 G長崎出身水主 31名 凡例 年齢 太平洋横断時のかぞえ年齢
A医師 4名 D鍛冶役 1名 H米海軍士官/水兵 11名 ◎印 長崎海軍伝習所出身者
B奉行従者 5名 E塩飽出身水主 35名 合計 105名 ▼印 幹事教授方頭取挨拶参照

※医師・奉行従者は、士官待遇/医師は、見習従者を含む
※解釈/見解の相違がありましたら、ご指摘ください。


士 官
番号 随伴艦内職名 氏名
年齢 識別 生年月日/没年月日/戒名 
職名などの追記
1 軍艦奉行 木村摂津守喜毅 31 1830(天保元)年2月5日生
1901(明治34)年12月9日没
 
軍艦奉行
2 船将 勝麟太郎義邦 38 ▼◎ 1823(文政6)年1月30日生
1899(明治32)年1月19日没
 
軍艦操練所教授方頭取 
3 砲術方
運用方
佐々倉桐太郎義行 31 ▼◎ 1830(天保元)年生
1875(明治8)年12月17日没
 
浦賀奉行配下与力、軍艦操練所教授方出役
4 運用方 鈴藤勇次郎敏孝 35 ▼◎ 1826(文政9)年生
1868(明治元)年8月19日没
普請役格、鉄砲方江川太郎左衛門配下手代
軍艦操練所教授方出役
5 浜口興右衛門英幹 31 ▼◎ 1829(文政12)年11月15日生
1894(明治27)年10月15日没
戒名=賢徳院殿雄誉英幹大居士
浦賀奉行配下同心、軍艦操練所教授方出役/
6 根津欽次郎勢吉
【運用方手伝】
21 ▼◎ 1839(天保10)年生
1877(明治10)年12月21日没
小普請組柴田能登守組、軍艦操練所教授方出役手伝
7 測量方 小野友五郎広胖 44 ▼◎ 1817(文化14)年10月23日生
1898(明治31)年10月29日没
牧野越中守家来、軍艦操練所教授方出役
8 伴鉄太郎 35 ▼◎ 1825(文政8)年生
1902(明治35)年8月7日没
箱館奉行支配調役並、軍艦操練所教授方出役
9 松岡磐吉 数え19 1841(天保12)年生
1871(明治4)年7月5日没
韮山代官江川家元締手代松岡正平三男、同家鉄砲方
普請役格、軍艦操練所教授方出役
10 赤松大三郎則良
【測量方手伝】
20 ▼◎ 1841(天保12)年11月1日生
1920(大正9)年9月23日没
御先手三浦美作守組与力吉沢勇之進次男、
軍艦操練所教授方出役手伝
11 蒸気方 肥田浜五郎為良 31 1830(天保元)年生
1889(明治22)年4月28日没
普請役格、鉄砲方江川太郎左衛門配下手代
軍艦操練所教授方出役
12 山本金次郎 35 ▼◎ 1826(文政9)年生
1864(元治元)年7月没
浦賀奉行配下同心、軍艦操練所教授方出役
13 岡田井蔵
【蒸気方手伝】
24 1837(天保8)年1月20日生
1904(明治37)年7月28日没
浦賀奉行配下与力 岡田増太郎弟
軍艦操練所教授方出役手伝
14 小杉雅之進
【蒸気方手伝】
18 ▼◎ 1843(天保14)年10月1日生
1909(明治42)年8月21日没
戒名=壽嶺院殿量遠日謙居士/大雄寺@谷中
御賄御酒役世話役長崎奉行支配調役 右藤弟
軍艦操練所教授方出役手伝
15 通弁方 中濱万次郎 34 1827(文政10)年生
1898(明治31)年11月12日没
普請役格、鉄砲方江川太郎左衛門配下手代付
軍艦操練所教授方出役
16 公用方 吉岡勇平政成 32 1830(天保元)年2月26日生
1870(明治3)年11月18日没
軍艦操練所勤番
17 小永井五八郎岳
【公用方下役】
32 1829(文政12)年生
1889(明治22)年12月没
軍艦操練所勤番下役
18 医師 牧山修卿 27 1834(天保5)年生
没年月日不明
松前伊豆守医師、御雇医師
19 田中秀安
【牧山医師見習】
不明
20 木村宋俊 不明
松平伯耆守医師、御雇医師手代
21 中村清太郎
【木村医師見習】
不明
22 【奉行従者】 大橋栄二 不明
木村家用人
23 福沢諭吉 27 1834(天保5)年1月10日生
1901(明治34)年2月3日没
24 長尾幸作
26 1834(天保5)年生
1885(明治18)年没
 
25 【奉行従者】
【鼓手】
斉藤留蔵 16 1844(弘化元)年2月10日生
1917(大正6)年1月8日没
戒名=大乘院法心日應居士
下野壬生鳥居家来/
26 秀島藤之助 不明
肥前佐賀鍋島家家来

船大工・鍛冶役
番号 職 名 氏 名 年齢 識別 太平洋横断後の消息ほか
出身
1 大工役 鈴木 長吉 42 ◎▼ 文政元年(1818年頃)生まれ/明治5年2月28日/1872年4月5日病没。
【091226追記】過去帳では明治5年4月17日/1872年5月23日病没。享年55歳
伊豆河津浜村
浦賀奉行配下船大工重五郎弟子、鳳凰丸建造に関わる。/
【100328追記】洋式帆船建造の第一人者、帰国後、石川島造船所で千代田艦の建造に当たる。
※2009年12月17日/河津町役場総務課からの情報提供で出身地・生年・没年月日を修正しました。
2 鍛治役 小林 菊太郎 不明 江川太郎左衛門鍛冶組
江戸
【100328追記】帰国後、 鈴木 長吉 と共に 石川島造船所で千代田艦の建造に当たる。維新後 横須賀造船所に勤める

塩飽出身水主
番号 職 名 氏 名 年齢 識別 生年月日・没年月日など
出身
太平洋横断後の消息などの追記
3










豊島 兵吉 不明 平吉と書かれる場合がある。
本島笠島浦
【100328修正】幕府海軍で千秋丸・幡龍丸で水主小頭を務めた。
4 大熊 実次郎 24 天保8年11月20日生(1837年頃)/
1918(大正7)年2月18日没<享年82歳>
戒名=法光院義教良乗居士
本島甲生浦
【100328追記】神戸操練所開設に関わり、閉鎖後に紀州藩で帆走術を教えた。1868年1月1日の神戸港開時、英国領事館になった神戸操練所ドックの責任者を務める。その後、神戸で船具商と造船業(航洋船)を営む。明治17年、二等運転士仮免許を受ける。全国で7番目、その後我国初の甲種船長となる。
5



勘次郎 21 天保11年8月18日生(1840年頃)
1902(明治35)年11月24日没
櫃石島
【050912追記】勘二郎、勘三郎と書かれる場合がある。
大阪商船就航100周年調査で山陽新聞より初代船長で
明治33年まで海上生活されたことが判明。
6 高橋 金左衛門 不明 1869(明治2)年1月15日没/戒名=教乗彼岸信士
金右衛門と書かれる場合がある。
牛島里浦
【100328追記】小笠原へ, 千秋丸の乗組員で参加。函館戦争で軍艦にて没
7 国蔵 不明 1881(明治14)年9月1日没
国造と書かれる場合がある。
広島江之浦
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加。 維新後、琵琶湖で水夫をする。
琵琶湖初の蒸気船船長になる。
8 横井 松太郎 18 天保14年2月28日生(1843年頃)
1901(明治34)年1月25日没
戒名=直至院真善道応居士
本島泊浦
病気のためサンフランシスコに滞留。万延元年8月帰国。
9 平尾 宮三郎 18
本島宮之濱
【061010追記】太平洋横断時の年齢判明/子孫からの情報提供
【100328追記】塩飽水主の最年少者。咸臨丸小笠原航海に参加。
戊辰戦争で東都にて没。
10 郡家 瀧蔵 21 ◎▼ 天保11年9月19日生(1840年頃)/
1902(明治35)年9月1日没<享年63歳>
戒名=普証導専信士/滝造と書かれる場合がある。
牛島
11 松井 弥十郎 不明 1884(明治17)年12月19日没
弥重郎と書かれる場合がある。
広島江之浦
【100328追記】桑港への、勝の買い出しに同行した話が残る。
咸臨丸小笠原航海に参加。
12 和三郎 不明
広島茂浦
13 島本 善四郎 23 ◎▼ 天保9年生(1838年頃)
万延元年7月25日<1860年9月10日>没
善次郎と書かれる場合がある。
瀬居島
【100328追記】帰国後、鵬翔丸の乗り組みとなる。
万延元年7月25日、伊豆下田大浦沖で座礁沈没で遭難死
14



石川 政太郎 26 天保4年12月23日(1833年頃)生/
1907(明治40)年11月13日熊本で没<享年75歳>
本島泊浦
【100328追記】咸臨丸航海日誌を残す。榎本艦隊に参加し、
後に横須賀造船所の工長になる。
【130120追記】先祖の記録参照
15 生田 治作 22 1839(天保10)年8月23日生
1872(明治5)年1月12日没
櫃石島
病気のためサンフランシスコに滞留。万延元年8月帰国。
16


曽根 仁作 不明 1868(明治元)年9月18日没
量平と書かれる場合がある。
広島立石浦
【100328追記】文久3年に水主同心格に取り立てられて武士になる。後に富士山丸の水主小頭として,功績を上げた。榎本艦隊に咸臨丸水主小頭で参加。房総半島沖で漂流し、下田経由で清水に寄港するが、清水にて官軍の銃撃を受けて死亡。
17 音吉 不明 乙吉と書かれる場合がある。
櫃石島
18 小栗 善三郎 52 1880(明治13)年11月13日没<享年72歳>
林之介または林蔵と書かれる場合がある。
本島笠島浦
【100328追記】咸臨丸乗組員最年長者。小笠原航海迄咸臨丸に乗っていたが、江戸の到着後に岩村吉之助を伴って函館丸で函館に向い、函館にて千石船に乗る。
19 玉谷 好平 40 1872(明治5)年没。<享年52歳>
高見島
病気のためサンフランシスコに滞留。万延元年8月帰国。
【100328追記】幕府軍艦の水主小頭で働く。
【130120追記】先祖の記録参照
20 水主 石川 大助 不明 1877(明治10)年没
石川政太郎の弟
本島泊浦
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加。
21 平田 源次郎 33 文政11年4月10日生(1828年頃)
1893(明治26)年1月27日没
広島茂浦
【100328追記榎本艦隊に参加。函館戦争後、函館にて蒸気船の船長を務める。
1893(明治26)年1月27日没
22 岡田 源之助 25 安政7年3月3日/1860年3月23日病没<享年25歳>
広島青木浦
サンフランシスコにて病死。ローレルヒルの墓地に埋葬。
23 山下 伊三郎 不明 ◎▼ 1887(明治20)年閏4月3日没
広島青木浦
【100401修正】咸臨丸小笠原航海に参加。維新迄,幕船に乗務した。
24 宮本 角之丞 31 天保元年4月10日(1830年頃)生/
1878(明治11)年4月8日東京品川にて没<享年49歳>
戒名=本阿角道信士/角太郎、角治と書かれる場合がある。
瀬居島
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加。大熊実次郎が没後の位牌を東京から本島の宮本英太郎に届ける。
25 岩村 吉之助 不明 吉之介と書かれる場合がある。
本島新在家
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加。後に函館で大倉近兵衛と名乗って、笠島小栗家の千石船に乗っていた模様。
26 幸吉 39 万延元年7月25日<1860年9月10日>没
広島稲田浦
【100328追記】帰国後、鵬翔丸の乗り組みとなる。万延元年7月25日、
伊豆下田大浦沖で座礁沈没で遭難死。苗字が「伴」と思われる。
27 大倉 幸三郎 19 天保11年8月5日(1840年)生
1874(明治7)年4月24日付で北海道開拓使御用掛
1910(明治43)年8月29日没<享年70歳>
戒名=隆岸浄興信士
本島大浦
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加, その後、不明
【110614追記】子孫から教えていただいた没年月日と享年を追記

【120820追記】開拓使御用掛は、北海道開拓使記録に基づく/子孫調査
【121128追記】先祖の記録参照
28 向井 仁助 不明 明治27年没
仁介と書かれる場合がある。
広島市井浦
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加。桑港での写真あり(塩飽勤番所に展示)
29 松尾 延次郎 40 文政4年12月28日(1821年頃)生/
1894(明治27)年2月29日没<享年74歳>
戒名=浄誉法山信士
瀬居島
病気のためサンフランシスコに滞留。万延元年8月帰国
信次郎と書かれる場合がある。
【100328追記】明治になっても長く水夫として務める。 桑港での写真あり
30 田中 清右衛門 不明
高見島
【110621修正】二女が中西竹蔵妻となる。
31 高島 清蔵 45 文化13年4月27日(1816年頃)生/
1896(明治29)年3月28日没<享年81歳>
戒名=高島院清荘正富居士/
清造と書かれる場合がある。
本島笠島浦
墓碑は笠島薬師堂の前にある。
【100328追記】咸臨丸のスケッチが載った新聞を持帰ったが、その後の調査の過程で紛失された。咸臨丸小笠原航海に参加。
32 中西 竹蔵 不明
高見島
【110621修正】子孫入会により、中西竹蔵妻が、田中清右衛門二女と判明。
33 友吉 不明
広島茂浦
34 平田 富蔵 不明 ● ▼ 安政7年3月10日/
1860年3月30日サンフランシスコにて病死
佐柳島
ローレルヒルの墓地に埋葬。富造と書かれる場合がある。
35 寅吉 不明 万延元年7月25日<1860年9月10日>没
虎吉と書かれる場合がある。
広島茂浦
【100328追記】帰国後、鵬翔丸の乗り組みとなる。
万延元年7月25日、伊豆下田大浦沖で座礁沈没で遭難死
36 前田 常三郎 26 天保6年(1835年頃)生れ
1891(明治24)年1月27日没
佐柳島
【100328追記】咸臨丸小笠原航海に参加後、神戸操練所で働く。閉鎖時に坂本龍馬に従って行動する。亀山社中、海援隊で佐蜊n氓名乗る。
37 吉松 46
高見島
病人8名と共にサンフランシスコに滞留。万延元年8月帰国。
【100329追記】帰国後、水主小頭に昇格。

長崎出身水主
番号 職 名 氏 名 年齢 識別 備考
出身
38 長崎水主 長次郎 不明
戸町
39 大次郎 不明 太次郎と書かれる場合がある。
小瀬戸
40 栄吉 23 病気のためサンフランシスコに滞留。
万延元年8月帰国。
西泊
41 福次郎 不明 福太郎と書かれる場合がある。
野茂
42 中村 伊助 不明
飽之浦
43 嘉右衛門 不明
樺島町
44 久平 不明 九平と書かれる場合がある。
小瀬戸
45 久太夫 21 病気のためサンフランシスコに滞留。
万延元年8月帰国。久太郎と書かれる場合がある。
瀬戸脇
46 百太郎 不明
西泊
47 松本 信吉 不明 新吉と書かれる場合がある。
水之浦
48 庄大夫 不明 庄太郎と書かれる場合がある。
西泊
49 惣八 35 病人8名と共にサンフランシスコに滞留。
万延元年8月帰国。宗八、源八と書かれる場合がある。
飽之浦
50 助次郎 不明
大浦
51 河野 辰蔵 21 1840(天保11)年生/1893(明治26)年2月22日没
勝蔵、勝造と書かれる場合がある。
西泊
52 梅吉 不明
小瀬戸
53 火焚役小頭 内田 嘉八 不明
54 小三郎 不明
55 九平 不明 久平と書かれる場合がある。
56 火焚 弁之助 39 1822(文政5)年生、1865(慶応4)年没
57 伊三郎 不明
58 国太郎 不明
59 又次郎 不明
60 峰吉 不明 ◎● 安政7年閏4月1日/1860年5月20日サンフランシスコにて病死。
ローレルヒルの墓地に埋葬。峯吉と書かれる場合がある。
61 紋次郎 不明 紋太郎と書かれる場合がある。−
62 竹治郎 不明 竹次郎、吉之助と書かれる場合がある。
63 滝蔵 21 病気のためサンフランシスコに滞留。
万延元年8月帰国。瀧吉と書かれる場合がある。
64 藤助 不明 藤介と書かれる場合がある。−
65 弥蔵 不明
66 善蔵 不明
67 吉之介 不明
68 三四郎 不明

乗船米海軍士官/水兵
番号 職名 氏名
1 海軍大尉、指揮官 John M. Brooke/ジョン・M・ブルック ▼
2 事務長 Charles Rogier/チャールス・ロジャー
3 砲手 Charles Falk/チャールス・フォルク
4 外科医 Lucian P. Kendall/ルシアン・P・ケンダル
5 舵手 Alexander Morrison/アレクサンダー・モリソン
6 掌帆手 Charles Smith/チャールス・スミス
7 帆縫工 Frank Cole/フランク・コール
8 水兵 George Smith/ジョージ・スミス
9 Axel Smedborg/アクセル・スメドボルグ
10 コック James Burke/ジェームス・パーク
11 海図専門家 Edward M. Kern/エドワード・M・カーン/士官待遇

以上