木古内町・江差町訪問2006
【8月15日】
 咸臨丸終焉の地・北海道木古内町で「きこない咸臨丸まつり2006」が8月15、16日の両日開かれたのを機会に、咸臨丸子孫の会は昨年に引き続きこれに参加した。今年の参加者は、勝海舟・濱口興右衛門・小野友五郎・小杉雅之進らの子孫を含む18名で、東京からの参加は13人となった。

 東京駅8時56分発の東北新幹線はやて9号で出発し、終点の八戸で白鳥9号に乗り換えた。青森駅のホーム書かれた「青函連絡船のりば案内」がかなりかすれていたけど読み取れた。

蟹田駅を発車してから青函トンネルに入るまでのトンネルのカウントダウン案内が面白かった。青函トンネルに入り、初めての北海道を見ようとトンネルの壁方向に向きっぱなしとなった方のイメージが印象的だった。トンネル内の暗闇を約40分走行してから車中にそそがれた北海道の光は、じつに眩しかった。

その感激が始まったと思ったら木古内到着の車内放送となり、慌しく下車準備となった。木古内駅に定刻14時36分に到着した。

木古内駅ホームでは、咸臨丸とさらき岬に夢みる会の方々に出迎えられ、木古内に来た実感がこみ上げてきた。

木古内駅から宿泊先への移動中、まつりのポスターがあちこちに掲げられており、「歓迎、咸臨丸子孫の会御一行様」を貼り出した店舗もあって感動した。
宿泊先でのチェックイン後、一時間ほどの休息としたが、この間に別ルートで木古内入りしたメンバーとも合流した。

16時からの大森町長、竹田議長表敬訪問で公式行事が始まり、役場入り口に掲げられた15人全員の名前が書かれた歓迎看板の前で、町長はじめ町幹部が勢ぞろいで出迎えてくれた木古内町さんの対応に感激した。
表敬訪問を無事に済ませた我々は、別室に用意された軽い夕食をとり、17時からの前夜祭に臨んだ。

役場前の特設ステージで前夜祭開催の挨拶から始まり、まつりがスタートした。よさこいフェスタでは、4歳の最年少会員が踊りに加わるなど和やかな雰囲気となった。

その後に千鶴伽ライブコンサートが始まり、昨年同様、「咸臨丸をたたえる歌」のほか最新作「花壇を守る人」を歌ってくれた。千鶴伽さんの咸臨丸を意識した選曲に感謝。

【8月16日】

前夜の行事が23時頃まで続いたせいか、ゆっくりした遅めの朝食となった。

10時頃に木古内町さんのバスで出発した我々は、咸臨丸のものかも知れない錨を見学に行った。保管場所は変わっていなかったが、施錠付の小屋が設置され、木古内町さんの意気込みが伺えた。

前夜に佐女川神社が祭礼期間中と伺い、皆で参拝した。ちょうど祭りの行列が出発するところであり、その行列を見送ったものの、その内容から木古内町さんの歴史を感じた。本殿に赴き、昨年から始まった「きこない咸臨丸まつり」が木古内町にしっかりと根付くように見守ってほしいと祈願させていただいた。

この神社の紋が我家紋と同じ「丸に四つ目菱」なのに親近感を覚える。

また、北海道ではアジサイが今を盛りと咲いていて、濃い珍しい紺色なのに驚く。数人でパークゴルフを楽しんだ。
昼食は昨年と同じく松村邸でのジンギスカンとなった。ホタテ貝、ツブ貝、トウモロコシ、おにぎりなどをたらふくいただいた。特にトウモロコシとじゃが芋は、本州では絶対に味わえないと思えるほどに美味しかった。

「こんな美味しい食材を北海道の人は毎日食べているのかなぁ?」と発言した方が、すぐに「当然」との応えられたので「許せない!!」と嘆いた場面が印象的だった。食事後の記念写真撮影で、トウモロコシの味が忘れられないと、皆で持っての撮影となった。
昼食後にサラキ岬へ向かい、今年5月建立された「咸臨丸終焉の碑」と「咸臨丸に捧げる詩」碑を見学した。

2002年以来の方は、咸臨丸子孫の会総会での報告で知っていたものの、その変貌ぶりに驚かれていた。岬のがけっぷちに木製のフェンスがボランティアによって新設されており、5月の建立式典に参加した我々も変貌に驚いた。
サラキ岬を訪問してから泉沢漁港へ向かい、2隻の漁船(第二十八隆栄丸、第八長栄丸)に分乗して、咸臨丸座礁沈没海域となるサラキ岬沖へ向かった。沖合い800メートル付近と伺ったが、その地点で「咸臨丸よ、安らかにお眠りください」と祈りながら献花・献酒をする。昨年に続き船を出してくれた町の人々に感謝。献酒は今回が初めてだった。

上陸後、曹洞宗禅燈寺の仁王像を見学。大正7年(1918)風間壮慶師の作と伝えられ、その気迫あふれる姿は道内有数の木像に数えられている。この寺は山門と本堂の間にJR江差線の線路(単線)があり、渡島鶴岡駅の近くである。この一帯には鶴岡農村公園、鶴岡小学校などがあり、山形県鶴岡市から入植した人たちが多く住むところという。

仁王像見学の時間を利用して幹事が木古内町在住のある方と会った。咸臨丸の歴史に欠かせない塩飽に関係する方との面談だった。塩飽牛島の丸尾伍左衛門の子孫で先祖が1600年頃に青森県の蟹田に住んでいたという。お話を伺って現代調で言うと「1600年頃の塩飽水軍蟹田駐在の子孫」となると思われる。

この方は、11月3日からの塩飽訪問参加を希望され、我々と共に塩飽を訪問することとなった。
【まつり本番】
きこない咸臨丸まつり2006のフィナーレが近づき、当会頭取は、濱口興右衛門役で咸臨丸山車に乗るべく準備に入った。

咸臨丸パレードは18時に木古内駅前から出発してメイン会場へ向かうコースとなり、昨年より短い距離になった。咸臨丸山車には大森町長、竹田議長、西田教育長などが木村摂津守、勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉に扮して乗られた。当会頭取も、かつら・はかま・羽織・足袋・雪駄の侍姿に扮し、町民の大歓迎を受けていた。

今年はオランダ花山車に吉田教授夫妻と咸臨丸とサラキ岬に夢みる会顧問の合田氏が乗った。更に増備された花山車には木古内駅長とJR北海道ツインクルレディーの3人と当会から勝海舟と小野友五郎の子孫が乗り、昨年以上の賑やかさになった。

19時半から特設ステージで咸臨丸セレモニーが始まり、町長・当会頭取・合田顧問の順に挨拶された。頭取は、挨拶の中で昨年10月にサンフランシスコ市から当会に贈られたサンフランシスコ郡市紋章を紹介された。その後、咸臨丸子孫の会18人全員が壇上で紹介された。ここで、千鶴伽さんが「咸臨丸をたたえる歌」と「花壇を守る人」を歌って、雰囲気を盛り上げた。

21時過ぎにまつり終了が宣言され、その後に町内の居酒屋で打ち上げとなった。最後は千鶴伽とお祭り男の工藤さんが「与作」のさわりを歌って最高潮になったところでお開きとなる。

【8月17日】
木古内町さんでのすべての公式行事が無事に終わり、参加者皆が、朝食後にそれぞれ帰宅準備に入った。

11時、木古内駅に町長、議長、助役、教育長、総務課長、久保会長、竹田副会長、松村副会長、多田事務局長ら町幹部や実行委員会幹部が昨年同様見送りに来てくれた。ここで東京へ戻る組と江差へ向かう組に分かれた。

江差では、開陽丸友の会副会長がお出迎え、ホテルニューえさしにチェックインのあと、副会長宅へ昼食に呼ばれる。いつもの皮剥き方のご主人の手作りのメークイーン、やまめ、猟師のイカの塩辛、ワラビの味噌汁など輪島家ならではのおもてなしに満腹。    

昼食後は、私が江差初訪問の方々をニシン御殿の中村家に案内して、町会所、郡役所跡、嘆きの松などを見学、9月25日に満4歳になるみなみちゃんが中村家の見学を終わって「見終わりました」と大人びた言葉を言ったのには感心させられた。中村家は私にとって2度目の見学だったが、明治初年の建造ということで、窓ガラスにあわが入っていたり、手作りでゆがみが入っていたり昔のガラスに郷愁を覚えた。また、ここに北前船のいかりが幾つも展示されており、外国船のとは違うことを再確認した。

16時半から江差町役場町長室で濱谷町長を表敬訪問、忙しい中を対応してくれて、私の持っていた「勝海舟」の帽子を被ったり、再選のお祝いを述べたり、和やかな雰囲気で会見を終わったが、別れがたく町長は町役場の玄関まで見送ってくれた。

18時半からそば屋で開陽丸友の会との交流懇親会。ここでも「めんこい」みなみちゃんが人気者だったが、石橋会長は1歳年長の五味さんと会いたがっていた。私は「江差訪問は今回で9回目となり、第二の故郷のように思っている」とあいさつした。

【8月18日】
8時半にホテルを出発し、開陽丸青少年センター見学では飯田館長から直接の説明を聞かせてもらった。江差駅10時8分発の列車に乗らねばならないので、一時間ほどしか時間がない。そのとき、大雨で青森の辺の列車が不通との情報が入る。江差にもう一泊するかと相談が決まりかけたとき、運転再開との情報ですぐ駅へ向かうことになり、甲板を見る暇もなくなった。

8月17日に開催される開陽丸友の会主催のビアガーデンに参加する幹事二人と江差の方々に見送られ、江差駅10時8分発の木古内行で帰路についた。両幹事の開陽丸友の会主催のビアガーデン参加は、開陽丸友の会さんとの交流が始まって以来、4年目にして実現した友の会主催行事参加であり、ありがたかった。

木古内駅へ定刻10時10分に到着したものの、乗り継ぐ白鳥18が遅れていた。本屋の吉澤さんなどが心配して駅まで来てくれたのが心強かった。15分遅れで発車したものの、八戸着が14時半となり、はやて18号が発車したあとだった。幼児連れの我一行に指定席なしで15時10分発はやて20号を利用するように案内した姿勢に不満を持ち、粘り強く交渉したら15時10分発と16時05分発の指定席割当に成功した。成功に喜ぶどころか、非常時の対応訓練が活かされないJR職員の姿勢に強い不信感を感じた。

昨年も宮城沖地震で列車ダイヤが混乱し、14時間を要する帰途となり、木古内行きの帰途が2年連続で遅延の混乱に巻き込まれるとは、何の因果だろう。

【8月19日】
開陽丸友の会主催ビアガーデンに参加した両幹事一行も前日と同じ江差駅10時8分発木古内行で帰途についた。といっても木古内駅途中下車で、木古内町の方々と改めての交流を図った。

まつり終了の翌々日となり、町内が普段の様子に戻ったと感じられた。駅前の吉澤書店内の談話コーナーに関係者が集まり、反省と今後への抱負を語り合う場面となった。この分野の話は、時間の経過も早く、あっと言う間の三時間だった。

木古内駅14時31分発の白鳥19号で帰途についた一行は、時刻表とおりの運転で予定時刻にそれぞれ帰宅した。

【まとめ】
「きこない咸臨丸まつり2006」に参加して昨年と違うところは、
@木古内町役場入り口で町長はじめ幹部が総出で出迎えたくれたこと、
A野ざらしだった錨に小屋が掛けられたこと、
Bサラキ岬に木製のフェンスが出来たこと、
Cサラキ岬沖で献花に加えて献酒をしたこと、
Dパレードで山車がもう1台増えたこと、
E江差町役場訪問で濱谷町長が初めて町役場の玄関まで見送ってくれたこと、
などなど、新しい経験をたくさんさせてもらった。お世話になった人々に感謝・感謝。
そして、今回の旅行で、江差が9回目、木古内が8回目の訪問となった。