四国新聞【2004(平成16)年10月11日付25ページ掲載】 |
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【上】新聞記事
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【右】新聞の写真部分
塩飽勤番所を訪れ、顕彰保存会の入
江会長(右)から説明を受ける「咸臨
丸子孫の会」会員ら=丸亀市本島町 |
【下】新聞の本文
カラーコピーから鮮明な紙面画像
が得られなかったので、読み易く
する目的で、新聞の原文をそのま
まを引用しました。
※四国新聞編集局了承済 |
幕末の一八六〇年、遣米使節に随行し、日本の汽船として初めて太平洋を横断した咸臨丸(かんりんまる)の乗組員の子孫らでつくる「咸臨丸子孫の会」(佐々木寛会長)が、九日から三日間の日程で塩飽諸島を訪問。ゆかりの場所を訪ね、地元の有識者らと交流するなどして、渡米時の乗組員九十六人中、三十五人を占めたといわれている塩飽出身水夫の偉業を検証している。
子孫の会は一九九四年に結成。歴史作家や博物館の学芸員らも所属し、現在会員は百二十六人。これまで咸臨丸が建造されたオランダや沈没した北海道木古内町などを訪ねるなどして会員相互の親ぼくを深めている。
塩飽諸島訪問は今回が初めて。訪れたのは、勝海舟のひ孫五味澄子さん(東京都)、木村摂津守のひ孫吉村尚子さん(埼玉県)、小杉雅之進のひ孫小杉伸一さん(神奈川県)らと、塩飽水夫の子孫である西田一義さん(大阪府)=多度津町高見島出身=、藤本増夫さん(同)=丸亀市本島出身=を含めた会員十五人。このほか、県内からも歴史研究家ら七人が参加した。
九日に多度津町の町立資料館や高見島を訪問した一行は十日、本島の塩飽勤番所や笠島地区の町並みなどを見学。勤番所では同顕彰保存会の入江幸一会長から朱印状などの展示品について説明を受けた。
館内には咸臨丸に乗り込んだ水主(かこ)と呼ばれる水夫の遺品や船の模型などもあり、会員らは「感無量」「塩飽水夫の偉大さをあらためて感じる」などと感激、往時をしのびながら食い入るように見入っていた。佐々木会長は「咸臨丸に関係ある品がたくさん見られて有意義だった」と感慨深そうに話した。
十一日は多度津町の佐柳島を訪れる。 |